和歌と俳句

夏目漱石

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東風吹くや山一ぱいの雲の影

馬の背で船漕ぎ出すや春の旅

雀来て障子にうごく花の影

何事ぞ手向し花に狂ふ

春雨や柳の中を濡れて行く

大弓やひらりひらりと梅の花

矢響の只聞ゆなり梅の中

弦音にほたりと落る椿かな

春雨や寐ながら横に梅を見る

烏帽子着て渡る禰宜あり春の川

小柄杓や蝶を追ひ追ひ子順礼

菜の花の中に小川のうねりかな

風に乗つて軽くのし行くかな

花に酔ふ事を許さぬ物思ひ

名は物の見事に散る事よ

巡礼と野辺につれ立つ日永

春の川故ある人を背負ひけり

ちとやすめ張子の虎も春の雨

恋猫や主人は心地例ならず

見返れば又一ゆるぎかな

不立文字白梅一木咲きにけり

春風や女の馬子の何歌ふ

春の川橋を渡れば柳哉

うねうねと心安さよ春の水

思ふ事只一筋に乙鳥かな

や隣の娘何故のぞく

行く春を鉄牛ひとり堅いぞや

春の雨鶯も来よ夜着の中

春の雨晴れんとしては烟る哉

妹が文候二十続きけり

行春や候二十続きけり

婆様の御寺へ一人かな

雛に似た夫婦もあらん初櫻

裏返す縞のずぼんや春暮るる

普蛇落や憐み給へ花の旅

土筆人なき舟の流れけり

白魚に己れ恥ぢずや川蒸気

白魚や美しき子の触れて見る

其夜又なりけり須磨の巻

鶯の大木に来て初音かな

殿も語らせ給へ宵の雨

陽炎の落ちつきかねて草の上

馬の息山吹散つて馬士も無し

春の雨あるは順礼古手買

尼寺や彼岸桜は散りやすき

詩神とは朧夜に出る化ものか

暁の夢かとぞ思ふかな

干網に立つ陽炎の腥き

東風や吹く待つとし聞かば今帰り来ん